神奈川県大和市。この町は戦後米軍基地と共に発展してきた。厚木基地の住所はカリフォルニア州に属しているのだという都市伝説があるという。
この町に住む十代のラッパー・長嶋サクラは日本人の母と兄、母の恋人で米兵のアビーに囲まれ、この町同様、複雑な関係性の中で育ってきた。アメリカのラッパーに憧れて、サクラは毎日ラップの練習と喧嘩に明け暮れる。ある日、アビーの娘・レイがカリフォルニアからやってくる。日米のハーフで、サンフランシスコで生まれ育ったレイ。好きな音楽の話をきっかけにして2人は距離を縮めていくのだが 。
この町に住む十代のラッパー・長嶋サクラは日本人の母と兄、母の恋人で米兵のアビーに囲まれ、この町同様、複雑な関係性の中で育ってきた。アメリカのラッパーに憧れて、サクラは毎日ラップの練習と喧嘩に明け暮れる。ある日、アビーの娘・レイがカリフォルニアからやってくる。日米のハーフで、サンフランシスコで生まれ育ったレイ。好きな音楽の話をきっかけにして2人は距離を縮めていくのだが
本作は米軍基地、貧困といった問題を抱える大和という場所で、ひとりの少女が“語るべき言葉”を獲得していく物語だ。サクラを演じるのは、今年『霊的ボリシェヴィキ』(高橋洋監督)、『菊とギロチン』(瀬々敬久監督)などの公開作が控えている韓英恵。監督は、黒沢清監督『トウキョウソナタ』の助監督などを経て、2011年に筒井武文監督『孤独な惑星』で脚本家デビュー、同年に初長編作品『夜が終わる場所』を発表した宮崎大祐。本作は北欧最大であるタリン・ブラックナイト映画祭をはじめ、世界中の20近い著名映画祭に招待され、ニューヨーク・タイムズやハリウッド・リポーター、ヴァラエティと言った海外メディアで絶賛された。
劇中では「相模の看板」として知られる地元出身のラッパーNORIKIYO が本人役でライブを披露し、同じく神奈川県横須賀市出身のラッパーでありビートメーカーであるCherry Brown がサントラを担当&カメオ出演。さらに、日本が世界に誇るジャパニーズ・オリジナルサイケデリック・パンクバンド、割礼の宍戸幸司、そして轟音のバンドアンサンブルと叙情的な詞世界でカリスマ的な人気を誇るGEZANも、その演奏で「大和」の背景に広がる世界をさらに豊かなものにする。
神奈川県のほぼ中央、相模野台地上にある市である。都心部からは40~50km圏内、新宿・渋谷・横浜にそれぞれ1時間以内で移動できることから利便性は比較的良い。東は横浜市、西は座間市、海老名市、綾瀬市に、南は藤沢市、北は相模原市、東京都町田市にそれぞれ隣接している。市内最大の商業施設として、イトーヨーカドーとイオンが共同で出店した大和オークシティがある。神奈川県内では治安の悪い地区として知られる。また、大和市をふくむ神奈川県央=相模エリア一帯はヒップホップどころとしても有名で、NORIKIYOを中心とするヒップホップ・ポッセ SD JUNKSTAやSALU、SIMI LABなど多くのラッパーたちが活動している。
大和市と綾瀬市、海老名市にまたがり、約507万平方メートルの広大な敷地を有する厚木基地(正式名称:厚木海軍飛行場)が存在する。航空機騒音や事故の不安等を与え、その日常生活に様々な影響を及ぼしている。大和市出身の有名人として、近藤真彦(タレント)、河村隆一(ミュージシャン)などがいる。
大和市と綾瀬市、海老名市にまたがり、約507万平方メートルの広大な敷地を有する厚木基地(正式名称:厚木海軍飛行場)が存在する。航空機騒音や事故の不安等を与え、その日常生活に様々な影響を及ぼしている。大和市出身の有名人として、近藤真彦(タレント)、河村隆一(ミュージシャン)などがいる。
●もともと母の本家が大和なので、親戚もそのほとんどが大和界隈に住んでおり、ぼくも大和を中心に各地を転々としながら育ちました。高校時代から本格的に大和に住むようになりましたが、反抗期の少年にあの騒音はまさに火に油で、毎日毎時間イライラしていましたし、町の誰も憤らないことに強い疑問をいだいていました。今でこそややこしい背景がわかってきたので一概には言えませんが、やはり「慣れ」と「あえて」によって沈黙している方が多いとは思います。大和から基地を追い出したところで、それは他の地域に同じ基地ができることを意味しているわけで。
●厚木基地は中がとても広いからなのか、横須賀や沖縄の一部のように周囲の町に米兵が繰り出してくるということはあまりありません。安全・防犯上の理由から高い建物もまわりにないですし、中を覗けないようになっているので、一年に数回あるお祭りの日にパスポートをもって中に入る以外にはなかなかなにが起きているのかわからない状態です。本当にあの騒音だけが一方的なコミュニケーションといいますか、そんな感じです。映画の中に米兵が出てきてうんぬんも考えはしましたが、自分の人生や現実をいつも以上に投影している映画なので、単なる映画的面白さのためだけに、倫理的・政治的に嘘をつくのは作品のためにも今後の人生にとってもよくないと思いました。
●大和市は非常に小さい市ですが、北部は田園都市線の終点・中央林間駅があるので、「田園都市」、「横浜の一部」というアイデンティティが強いように思います。撮影が主に行われた大和駅、桜ヶ丘駅周辺やぼくがすむ高座渋谷駅をふくむ南部はより「大和」アイデンティティが強いと思います。神奈川の下町的な猥雑で昭和な雰囲気に基地の影響によるアメリカンな香り、そして定住センター経由でいちょう団地にたくさんお住いの外国人の方々が混ざって今の「大和」アイデンティティを形成しています。
●なでしこジャパンが2011年にワールドカップで優勝したときのメンバーの多くが大和市出身あるいはゆかりがある。
●関東ではじめてジャスコ(現イオン)が出店したのは大和市高座渋谷で、そのせいか今は近辺の生活水準をふまえないセレブ仕様のイオンになっている。
●劇中歌われる、大和市東部を南北に縦断する国道467は国道246側から湘南方面に抜ける唯一の国道だが一車線なので常に渋滞している。
●467を走り藤沢市側に入ると、道路の舗装がちゃんとする。
●北朝鮮政府唯一の銀行口座が大和市にある。
●厚木基地は中がとても広いからなのか、横須賀や沖縄の一部のように周囲の町に米兵が繰り出してくるということはあまりありません。安全・防犯上の理由から高い建物もまわりにないですし、中を覗けないようになっているので、一年に数回あるお祭りの日にパスポートをもって中に入る以外にはなかなかなにが起きているのかわからない状態です。本当にあの騒音だけが一方的なコミュニケーションといいますか、そんな感じです。映画の中に米兵が出てきてうんぬんも考えはしましたが、自分の人生や現実をいつも以上に投影している映画なので、単なる映画的面白さのためだけに、倫理的・政治的に嘘をつくのは作品のためにも今後の人生にとってもよくないと思いました。
●大和市は非常に小さい市ですが、北部は田園都市線の終点・中央林間駅があるので、「田園都市」、「横浜の一部」というアイデンティティが強いように思います。撮影が主に行われた大和駅、桜ヶ丘駅周辺やぼくがすむ高座渋谷駅をふくむ南部はより「大和」アイデンティティが強いと思います。神奈川の下町的な猥雑で昭和な雰囲気に基地の影響によるアメリカンな香り、そして定住センター経由でいちょう団地にたくさんお住いの外国人の方々が混ざって今の「大和」アイデンティティを形成しています。
●なでしこジャパンが2011年にワールドカップで優勝したときのメンバーの多くが大和市出身あるいはゆかりがある。
●関東ではじめてジャスコ(現イオン)が出店したのは大和市高座渋谷で、そのせいか今は近辺の生活水準をふまえないセレブ仕様のイオンになっている。
●劇中歌われる、大和市東部を南北に縦断する国道467は国道246側から湘南方面に抜ける唯一の国道だが一車線なので常に渋滞している。
●467を走り藤沢市側に入ると、道路の舗装がちゃんとする。
●北朝鮮政府唯一の銀行口座が大和市にある。
『大和(カリフォルニア)』
韓英恵 遠藤新菜
片岡礼子 内村遥
西地修哉 加藤真弓 指出瑞貴 山田帆風 田中里奈
塩野谷正幸 GEZAN 宍戸幸司(割礼) NORIKIYO
監督・脚本:宮崎大祐
音楽:Cherry Brown GEZAN 宍戸幸司(割礼)NORIKIYO のっぽのグーニー
撮影:芦澤明子(J.S.C.) 照明:小林誠 美術:高嶋悠 編集:平田竜馬 音響:黄永昌
サウンド・デザイン:森永泰弘 スタイリスト:碓井章訓 ヘアメイク:宮村勇気
助監督:堀江貴大 制作主任:湯澤靖典 カラリスト:広瀬亮一
プロデューサー:伊達浩太朗 宮崎大祐 キャスティング:細川久美子
製作:DEEP END PICTURES INC. 配給:boid
協賛:さがみの国 大和フィルムコミッション
©DEEP END PICTURES INC.
2016/日本・アメリカ/カラー/119分/アメリカン・ビスタ/5.1ch
韓英恵 遠藤新菜
片岡礼子 内村遥
西地修哉 加藤真弓 指出瑞貴 山田帆風 田中里奈
塩野谷正幸 GEZAN 宍戸幸司(割礼) NORIKIYO
監督・脚本:宮崎大祐
音楽:Cherry Brown GEZAN 宍戸幸司(割礼)NORIKIYO のっぽのグーニー
撮影:芦澤明子(J.S.C.) 照明:小林誠 美術:高嶋悠 編集:平田竜馬 音響:黄永昌
サウンド・デザイン:森永泰弘 スタイリスト:碓井章訓 ヘアメイク:宮村勇気
助監督:堀江貴大 制作主任:湯澤靖典 カラリスト:広瀬亮一
プロデューサー:伊達浩太朗 宮崎大祐 キャスティング:細川久美子
製作:DEEP END PICTURES INC. 配給:boid
協賛:さがみの国 大和フィルムコミッション
©DEEP END PICTURES INC.
2016/日本・アメリカ/カラー/119分/アメリカン・ビスタ/5.1ch
にっぽんがどんな状態にあってもこの足で、ここから始めようとする。
そんな決意の歌が聴こえる映画だ。
ド直球で逃げ場のない、息苦しい青春に、
ヒリヒリした説得力を与える孤高の存在感。
誰も寄せ付けない強いまなざしに、
いつかとおった青春の、痛いくらいシリアスな気持ちを思い出す。
デビュー直後、業界や謂れもないことを書かれたりすることに戸惑い疲れ傷つき活力を失っていた自分、そこからそれを取り戻すまでの自分を思い出した。
まだここにいるということは、まだ生きたくて、まだやりたいのだ。
だが、『大和(カリフォルニア)』は、単純に映画として素晴らしい。宮崎大祐監督はいつの間にこんなに腕を上げたのか。自らの存在に屈折した悩みを持つ少女を登場させる。基地の柵の横を原付で走り、兄と薄いカーテンで仕切られた境界の部屋と別宅としての動かないトレーラーを往復し、おずおずと言葉を綴り、ラッパーとして生きようとする、ひとりの女性を描いた映画として、また音楽・音響映画として、『大和(カリフォルニア)』は圧倒的に素晴らしいのである。実際、ここでの韓英恵ほど魅力的な被写体が存在するだろうか。そのすべての瞬間が愛おしい。特にカリフォルニアから送り込まれたハーフの少女との出会いが、彼女の内面のスイッチを押してからの素晴らしさは空前絶後、内からこみあげる奔流と外からの圧力の境界として彼女の顔は変貌する。音楽映画として、夢想的、演劇的、現実的な三つのクライマックスを惜しげも無く釣瓶打ちする豪胆さにも驚嘆させられる。
『大和(カリフォルニア)』は、いま観るべき(唯一の)映画である。
米軍基地のある町で生きる女の子のラッパーを主人公にして、宮崎大祐はこの解決不可能な問題に果敢に取り組んでいる。日々の暮らしのなかでの苦しみ、新しく出来たアメリカ人の友達にぶつける劣等感……彼女の鬱屈は日本が近代以降抱えてきた鬱屈そのものだ。
最後に彼女は思いのたけをラップするが、果たして本当に吹っ切れたのか? そうだとすれば何から? 彼女に会ったら聞いてみたい。
10代終わり、最初に描いていた漫画は誰かの真似だった。それがほとほと嫌になり、過去にあった本当に起こったことをただ描いた。それが賞に入った。
技術を磨き、フィクション(嘘)を描くこととは、本当に伝えたい核のために丁寧に例え話を纏わせることだと知った。本当に言いたかった言葉は大抵とてもシンプルだ。
社会が抵抗しようのないほど大きく見える時がある。ただそれぞれ、一人一人が生きているだけなのに。
それに抗うため自分を大きく見せようとする時がある。膨らませているものは恐怖と不安だ。 そんなのはもうやめだ。
百の他人の言葉より、「ごめん」「ありがとう」。
そして「描きたい。生きたい」。
そんな漫画を描きたいと思った。
サクラはまっすぐに天に向けて指先を伸ばし、そう宣言する。この英語とも日本語ともつかない言葉の晴れ晴れとした力強さ、いかなる国語にもたやすく回収されることのない不格好な言葉の輝き、これこそがこの映画がたどり着いた地点を指し示している。この言葉は「最強のインディペンデント映画」たらんとする『大和(カリフォルニア)』の宣言でもあるのだ。
タイトルは謎のようで、映画の設定を知らなければ理解出来ないが、厚木空軍基地が神奈川県大和市(と綾瀬市)に存在しながらその敷地内は治外法権状態で、都市伝説ではアメリカはカリフォルニア州に属すると言われることに由来する。その大和市に住む「ラッパー」のヒロイン(韓英恵)を中心に展開するこの映画は、あらゆる二項対立を徹底的に無効化する。
まず、大和(日本)対カリフォルニア(アメリカ)という対立が、脱特権化され無効化される。それは、ヒロインと、母親(片岡礼子)の恋人であるアメリカ軍人の娘との付き合いを通じて徹底的に具体的に、しかし日常的な何事もないような出来事の描写を重ねることによってである。サンフランシスコ(カリフォルニア州!)からヒロインの一家を訪ねてきたレイ(遠藤新菜)は、映画には登場しない米軍人の父親が沖縄勤務時代に日本人の母親(故人)との間に設けた娘で、「ハーフ」であり日本語もかなり話すが、自らは「アメリカ人」であると名乗る。大和は脱特権化されるとともに、その状況は沖縄と重ね合わされもする。
レイは、「日本的」なものを求めず、サクラの日常に付き合おうとし、日本対アメリカというステレオタイプ的な二項対立も排除される。一方で、二人の付き合いの中でサクラのしていること、とりわけラップはアメリカ文化のコピーではないかという、オリジナルとコピー、あるいは支配と服従の新たな二項対立が浮上するが、この対立もまた乗り越えられることになろう。
無言と言葉、あるいは言葉とラップという対立さえ乗り越えられ、最終的には現実と夢という最大の二項対立が奇蹟のように無効化され乗り越えられる。それがどのようにして成されるかは、映画を観て実際に体験してもらうより他にはないのだが、そこでは宮崎大祐の手になる周到な脚本と演出の力(例えば、決定的な瞬間に出て来る意外な言葉の説得力)とともに、芦澤明子のまさに至芸とも呼ぶべき圧倒的な撮影にも注目すべきだろう。ここでは、手持ちと固定が、あるいはロングショットとクロースアップが、宮崎の演出の下に絶妙に折り合わされている。サクラを微妙な光と影のたゆたいの中に捉える数々のショットの、あるいは思わぬ瞬間に現れるクロースアップの、何と緊張感に満ちつつも美しいことか。二項対立の無効化と乗り越えは、映像と音声とによって、圧倒的ともいうべき具体的かつ実質的な形で成し遂げられているのである。
二項対立の無効化は、カオスではなく、無限のニュアンスをこの映画にもたらしている。微妙な政治的な主題を避けることなく真っ向から扱いつつ、未来への確かな希望を指し示して、『大和(カリフォルニア)』は屹立する。絶対に見逃してはならない映画である。